一色眞一
(いっしき・しんいち)
石川県加賀市議会議員(1期目)
日本共産党石川県委員会委員
日本共産党加南地区委員会常任委員
加賀市委員会委員長
市政対策委員長
プロフィール
昭和25年(1950年)7月25日加賀市一白町に3人弟妹の長男として生まれました。
獅子座 血液型A型
3人の子どもを育て、現在は妻と暮らす
2021年10月の加賀市議会議員選挙で初当選
学歴
加賀市立湖北小学校、加賀市立片山津中学校、県立大聖寺実業高校卒業
(中学校時代はバレーボール部、高校では身長で無理とわかり、ブラスバンド部で活動していました)
職歴
1969年4月高卒後、(株)小松製作所粟津工場入社
以来44年間勤務する。2013年退職
地域活動
町内会長、一白町生産組合長、JA加賀 総代、加賀市農業委員会 最適化推進委員、加賀市主任児童委員
趣味
音楽鑑賞(労音で30数年活動)音楽評論家湯川れい子さんの「昭和25~28年生まれの人は幸せです。ジャンルを問わず世界中のあらゆる音楽をリアルタイムで聴いてきた世代だから」が忘れられません。まさしく自分自身がそうであったからです。戦後民主主義の象徴でもあると思います。
日本共産党との出会い
戦時中、旧海軍・小松飛行隊に所属していた予科練生の父は、特攻隊に召集される運命にありました。
私が15~16歳の頃「眞一、戦争があと二か月延びていたらお前は生まれていなかった」と言われた言葉が今も忘れられません。
戦後、父は開拓を始めるが、苦労の連続で貧しい暮らしが続いたといいます。吹雪いた翌朝、寝ていた布団が雪で白くなっていたのを幼いころの思い出として持っています。
「一緒にいい職場を・社会をつくろう」―入社した小松製作所(現・コマツ)に働く職場の先輩の呼びかけで20歳のときに、日本共産党の一員に。以来、労働組合などの活動に取り組みました。しかし、会社からは配置転換などの攻撃が。それでも「不当な攻撃には負けられない。労働者が大切にされる職場に」と、仲間と共に頑張りぬきました。
父の「戦争が延びていたらお前は生まれていなかった」、「当時命がけであの戦争に反対していたのが共産党だった」この二つが日本共産党に入るきっかけでした。
「困難があっても仲間と共に切りひらく」この時の信念を、今も貫いています。
退職後、地元の支部長・地区委員として活動してきました。一方、健康友の会役員やボランティアとして、NPO法人「安心たすけ愛」にも参加していました。
また、地域のためにと「一白町町内会長」、「一白町生産組合長」、「JA加賀総代」、「加賀市農業委員会最適化推進委員」、「加賀市主任児童委員」など、やらせていただきました。
2017年、現職の新後ゆき子議員が病気で倒れ、その議席を引き継いで頑張る決意です。
私に寄せていただいたご支援を今度は一色さんに
一色さんは、ずっと私と一緒に市への申し入れや生活相談で奮闘しています。苦労人らしく思いやりや責任感ある方で安心してバトンタッチできます。私は今期で勇退しますが、今度は一色さんに皆さんのご支援をお願いします。