7月14日、能登半島地震支援で、加賀から7人で行ってきました。その中には、SNSで繋がっている愛知と京都の友人が「一度は能登支援に行きたかった。連休を利用して来た」と参加してくれました。
今回も皆さんの善意(お米90㌔、大玉スイカ)を車に積んできました。その中には、前回支援の様子を紹介した「加賀民報NO2」を見た支持者が、カンパしてくれたお米60㌔も含まれています。(別途、事前に宅配便で飲料水270㍑)
さて、今回から助っ人が登場です。
前回、お米や飲料水を運ぶ時に苦労したので、思い切って購入した運搬車。200㍑の大容量で、タイヤ幅も広く、楽々と運べます。また折りたためるので収納に便利です。
今回で5回目の支援は、穴水町の諸橋(もろはし)と、甲(かぶと)という町にある仮設住宅を訪問しました。日曜日ということもあって、多くの方々とお話ができました。
こちらが用意したお米や飲料水、日用雑貨品を「気の毒なあ。いただいてばかりで」と受け取ってくれ、私たちのいろんな問いかけに、応えてくれました。
「家がぺちゃんこで、未だに家財道具が取り出せていない。何とかこうして仮設に入れたから喜ばにゃいかんのやろうけど。切ないわ」と。
またある人は「家族5人、仮設に来たけどとてもじゃないが住めんと言って、息子家族は七尾にアパート借りた。余計な出費や」と嘆いておられました。
たまたま知り合いを訪ねてきた若い女性が話の途中に交じってきて、「年末に車検したばかりやに、津波でやられた。重量税だけ戻ってきた。車検代返してほしいわ。勤め先も会社潰れて(地震で)廃業した。
私、ハローワーク通いしてる」と、いつか誰かに言いたかったであろう胸の内を一気に話してくれました。
皆さんつらい思いを胸に持ちながら日々暮らしていると思うと、こちらも気持ちがシンクロして、胸が熱くなりました。
活動後、センターに戻って状況報告。
皆さん口々に、仮設住宅の暮らしぶりを取り上げて、「あれじゃ狭すぎる」、「洗濯物を干す場がないのは梅雨時つらい」、「洗濯干し場に庇があるとよい」など語り、「改善すべきことはたくさんある。県や国に要望しよう」となり、帰路に着きました。